隘路?

本田由紀『「家庭教育」の隘路』(勁草書房) – インタラクティヴ読書ノート別館の別館

それにしても、この隘路をどう抜ければよいのか? あるいは、果たしてそこに隘路など存在するのか?

つまり、「隘路」はないということ? 「短期」と「長期」、あるいは「ミクロ」と「マクロ」を並べるのは、結局は「短期」ならびに「ミクロ」の自己正当化・現状容認になるだけのような気もしますが……

でも、「短期」「ミクロ」が否定されるものではないとしても、「長期」「マクロ」は様々な条件が満たされることを前提にして初めて言えることのはず(違うかな?)。

だから、「やましさ」を感じることはまったくないとしても、しかし、「他の子どもたち、とりあえずは自分の子どもの周囲の子どもたちにも、もっと配慮しようよ、と言うだけでよい」とは言えない気がするけれど……。

うーん、よく分かりません。